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恵美の幕末日記

幕末好きによる幕末中心の史跡巡り旅日記

備中松山城無血開城

江戸城無血開城・・・・と聞くと、

備中松山城無血開城も一緒に頭に浮かぶ、最近の私。

あまり知られていない、備中松山城無血開城の話を少ししたいと思います。

記憶を頼りになので、少々違っている所もあるやもしれませんが、

江戸城だけではなく、同じように無血開城された城があったんだと知ってもらえたら幸いです。

幕末、備中松山藩(現在の岡山県高梁市)の藩主は、幕府老中、板倉勝静でした。

彼は、慶喜公とともに、大坂から江戸へ帰り、のち、日光にて謹慎をします。

しかし、日光から宇都宮に幽閉された勝静は、

宇都宮に入った大鳥軍に助けられ、会津へ向かいます。

そして、彼は最終的に箱館まで行くことになります。

降伏をすすめる国許の藩士たちと、

一度は恭順の意を示し謹慎までしたものの、徳川のために最後まで戦うと決めた藩主の勝静と

それについていこうとする、勝静のそばにいる藩士たち。

想いは国許と現地で完全に別れてしまっていました。

勝静は戊辰戦争を徳川の中心として戦に参加していた為、

備中松山藩を朝敵と見なした新政府軍は、備前岡山藩備中松山藩の征討を指示しました。

このままでは、松山は火の海となる・・・。

国の民を救うため、勝静の右腕であった山田方谷は1つの決心をします。

それは、藩主不在のまま城を明け渡すことでした。

はじめは、聞き入れようとしなかった新政府軍でしたが、、

備中松山藩家老大石隼雄らの決死の嘆願により

備中松山藩の願いは聞き入れられ、備中松山城無血開城されたのでした。

お城は、新政府軍に明け渡されました。

明け渡されたお城は新政府軍により取り壊されていきました。

しかし、備中松山城天守は、幕末の当時のまま、その姿を残しています。

備中松山城は気高い山の上にあります。

竹田城と同じように雲海を望むことのできる山城です。

備中松山城も、もちろん取り壊しを行われることになりました。

しかし、あまりにも高い山の上にあるために、

道具を運ぶのも一苦労、取り壊した後木材を運び降りるのも一苦労で、

途中で取り壊しを断念し、放ったらかしにされたそうです。

放ったらかしにされた備中松山城はかなり荒れてしまっていたそうですが、

昭和初期に修復工事がされました。

そして、現在も幕末当時の姿を私たちに見せてくれる、

唯一の天守閣として、国の重要文化財になっています。

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