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恵美の幕末日記

幕末好きによる幕末中心の史跡巡り旅日記

日本一低い山天保山

海遊館にいきたいよーーーー!!!!と、

たまに来る海遊館に行きたい病のために、行ってきました海遊館

海遊館があるのは、天保山

天保山といえば・・・

てわけで、行きたくてもなかなか行けなかった、この石碑を求めて、

海遊館の横にある、天保山公園

慶應四年(1868)一月、鳥羽伏見の戦いに破れた徳川慶喜

艦隊総司令官榎本武揚を大阪に残したまま、旗艦開陽丸に乗ってここから江戸に帰ってしまいます。

天保山跡

この時、八重の桜では、会津公と桑名公しか登場しませんでしたが、

老中で備中松山藩藩主の板倉勝静も同行していました。

八重の桜に登場しなかったのが悔しくて、悔しくて・・・(←まだ言ってる)

この石碑を探して公園内を歩き回っていた時に見つけたのが

明治天皇観艦之所

明治天皇観艦之所

慶應四年(1868)三月に、明治天皇の大阪行幸の際に日本最初の観艦式が行われ、

これを記念して記念碑が建てられたそうです。

この石碑はとても大きなもので、天保山にある観覧車や、

観光船サンタマリア号からも、ばっちりその姿を望めます。

そして、

西村捨三像

西村捨三像

大阪港築港の功労者であり、第六代大阪府知事の西村捨三の銅像です。

この方、流山での近藤さん捕縛にも立ち会った方なんだそうです(-_-メ)

大阪築港基石

西村捨三顕彰碑

朝陽岡(ちょうようこう)

朝陽岡石碑

彦根藩士だった西村捨三が、若いころに仕えた井伊家から、

庭にあったこの石を貰い受け、家へと移したのだそうです。

朝陽岡

行きたかった天保山跡の石碑のある場所まで行けて、

しかも思いもかけない石碑まで見つけられて、満足でした。

公園のそばには船着き場があります。

そこから、慶喜公たちは、江戸へと向かったのか。

順動丸、富士山丸に分かれ、天保山沖から江戸へ向かった新選組

そんな彼らの姿を想像しながら、船着き場を眺めてみました。

そして、船着き場の写真を撮り忘れました(笑)

天保山には、観光船サンタマリア号が大阪湾を一周してくれるので、

サンタマリア号に乗りながら、

隊士たちも見たかもしれない空を眺めるのが、実は好きだったりします。

(ただ単に船好きなだけでもありますが)

少しだけ、彼らの面影を感じながら、天保山を後にしました。

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